5月16日(土)17日(日)に静岡ツインメッセで開催される
『モデラーズminiフリマ18』(第54回静岡ホビーショーと同時開催)で
先行発売される(その後一般発売)1/35「鉄炮侍」蛭子八郎太フィギュア
(インジェクションプラスチックキット・価格1850円+税)
その商品開発に至る経緯と宮崎駿監督の新作漫画になるかも知れない
「鉄炮侍」について伺った特別インタビュー。

ファーストテストショットを見る宮崎さん 「胸板が薄すぎて、ちょっとひ弱な感じになってるね。どうなんだろうね」というご指摘をいただいた。原型と比べてみると確かに薄くなってしまっていたので、発売される製品はこれよりも胸板が厚くなる。

2013年9月、宮崎駿監督は映画監督からの引退を表明した。でも、スタジオジブリに隣接している個人事務所「二馬力」には毎日来ていた。やって来て、何をしていたのか。ジブリの鈴木敏夫プロデューサーは、とあるインタビューで「ある模型雑誌のために、せっせと緻密な漫画原稿を描いている」と言っている。読者のみなさんならもうわかっていると思うが、ある模型雑誌とは月刊モデルグラフィックス(MG)誌である。
描いていた漫画は、1560年代の関東地方、北条と上杉の勢力がせめぎあう最前線で戦う騎馬鉄砲隊の武士、蛭子八郎太の物語である。じつは映画「風立ちぬ」の制作以前から「鉄炮侍」の構想は練られていた。そして2013年の9月に筆を起こし、およそ1年で、想定していた第一部の合戦シーン20ページの半分が描き上がった。

モデルカステンでは、そろそろ連載の開始も近いとみて、主人公、蛭子八郎太のフィギュアの製品化を企画。1/35女子高生フィギュア原型師として知られる六治郎氏に原型を作ってもらい中国のメーカーに金型の製作を依頼。併せて本誌(月刊アーマーモデリング)でも戦国関係の連載をはじめた。これは「鉄炮侍」連載に合わせた企画だったのである。まだ連載開始の目処も立たないのに、今年の初頭にはもうフィギュアは、テストショットができあがって来た。普段は愚図愚図して機を逸してるくせに、こんなときだけは仕事が速いのである。

ところがそのころ、宮崎さんの筆はぴたりと止まり「鉄炮侍」の連載は中止か、はたまた無期限延期ということになってしまった。
なんでそんなことになってしまったのか、以下、二馬力に行って、ご本人から詳しいお話をうかがってきた。

宮崎駿氏(以下宮崎) 編集部で漫画の資料用に集めてくれた戦国に関する本を片っ端から読んでも、書いてあることに全然納得ができなくて、自分なりに描いてゆこうと思ってたんです。まず派手な合戦シーンを20ページくらい描いて、こりゃウソだって言って、もっと地味な戦争を描こうと思ってたのに、そうなんなかったんです。

月刊モデルグラフィックス(以下MG) 最初にお話をうかがったときには、北条と上杉の最前線にあるお城へ警備当番に行く1人の侍がどんな物を持って行くのか、見開きにひとつひとつ全部描いてみたいとおっしゃってましたよね。鉄炮に火薬、鉛弾、刀、鉛玉を鋳る型、自分が食べる米と鍋、お椀にお箸、着替え、布団にむしろ、半紙や筆硯とか、昔の侍は補給なんかなくて全部自前だったから、荷物はたいへんなもんだったでしょうね。それを絵で見れたらおもしろいなァ、と思ってたんですけど。

宮崎 本には硝石(黒色火薬の原料)は簡単に輸入してたって書いてあるけど、輸入してたって言ってもね、どこの港に揚げたものを、どうやって甲斐の山奥や関東平野のはずれまで持って来たのかね。武田勢だっていっぱい鉄炮持ってたっていうでしょ。硫黄の流通ルートだって、火縄はあれは木綿だから、その木綿の流通ルートだって、全部輸入なのかって。で、硝石は江戸時代になってから納屋の床下で作ったっていうけど、相当前から、じつはやってたんじゃないかな。火薬はどうやって輸送していたんだろうかと。そんな戦略物資を他所の領土を通って運べたんだろうかとかね。そんなの関東まで運んでくるのたいへんじゃない。境の港に陸揚げしたものが全国に運ばれた、なんて単純なもんじゃなかったんじゃないかな。相当いろんなところから、いろいろなルートを使って広がって行ったんでしょ。かなり早く火薬の国産もはじまっていたに違いないとか、何かあったに違いないけど、よくわからない。だからウソ八百描いてやろうと思ってたんだけど。

宮崎駿の雑想ノート[増補改訂版] アニメ映画監督・宮崎 駿が、その豊富な軍事知識と妄想で構築した超趣味的世界。古今東西の兵器と人間が織りなす狂気の情熱を描いたイラスト・エッセイ13編。

MG 戦国の『雑想ノート』ですね。「この記事に資料的価値はありません」っていう、ますます面白そう。だいたいテレビや映画の合戦シーンって、みんな牧場やゴルフ場みたいに広々したところでやってるじゃないですか、日本にそんな場所って滅多にないし、あれウソくさいですよね。

宮崎 でもその地味なウンチク漫画にゆく前に、少し華やかな合戦を描いてみたら、同じ穴の狢になっちゃって、やはり野原は平らになるしね。でもリアルに戦場を草ぼうぼうにすると、戦がどれほど困難かってわかるし、だいたい馬が走れないよね。走らないよ。という訳でね、描いてるうちに段々「どうしよう」って思いはじめて。侍達もすごい武装している奴と、手抜きしているのもいて、その手抜き武装の侍もきちんと描こうとすると、たいへんな手間になってね。要するに、始めたのはリタイアのクッションだったんですよ。ちゃんと毎日、ここ(二馬力)に来てようって。で、結局、来なきゃいけないんだってことになって(現在、ジブリ美術館展示の企画に忙殺されている)。最初は、まァ、いいやって描いてたところがどんどん気になってきてね。「馬具なんてどうでもいいよ」って描いてたんだけど「ちょっと待って、やっぱりちゃんと描かないといけないかな」って思ったり。まァ、どっかで風向きが変わるかもしれないから、いままで描いた分は、どっかその辺に放りこんでおきますよ。後でみたら、まだこんだけしか描いてないのかって、茫然としますね。

月刊アーマーモデリング2015年5月号
掲載ページより

※続き:アーマーモデリングには載せきれなかった話題を中心に経緯をご紹介。(モデルグラフィックス2015年6月号掲載ページより)

宮崎 埼玉県の所沢に城跡があって、そこの漫画を描きたいと思ったんだけどね。

MG 上杉と北条が対峙していた関東の最前線を警備していた北条側のお城ですよね。

宮崎 所沢の城については、いろいろと書いてあるものを読んで「滝の城」っていう、北条氏照だったかな、その城で。それで氏照も時々来てたんだけど、そこでお茶をたてたっていう三の丸の跡が残っているんだけど、ほんと狭い面積なんだよね。こんな小ちゃな場所なのかって。本丸の跡だって、行ってみるとね、神社が一社あって、その前にちょっと境内があってそれでおしまいだから。これは小さい。何人いたんだろう。いなかったんじゃないかとかね。軍隊が移動するときに、ちょっと駐留するような場所(外郭)は三の丸の下辺りにとってあるようだけども。当時の城っていうのは、いま、想像していたようなものとは全然違うんじゃないだろうかって思うね。

MG はじめて『鉄炮侍』の構想をうかがったときは、主人公の侍は住んでる在所からお城の警備当番にくるとき、荷物を近所の農家の倅どもに担がせて赴任して来るけど「連中に昼食を食べさせるのがイヤなので朝うんと早く出立して、荷物運びの連中は昼前に帰したりしたにちがいないんですよ」みたいな話で、みなの貧乏性を直撃する話で、ずいぶん楽しみにしてたんですが。

宮崎 この城で、そういうリアルな戦をさせたかったんですがね。城の作り方とか、そういうのも描きたかった。これはもう赤土の城だよね。草なんか生えたらどんどん崩れるから。草取りばっかりやらなきゃいけないけど、侍が草取りやってるのか。どうなのか。日本はすごいからね、植物の成長が。三年に一回ずつ、柵は立て直さなきゃいけないし。ホントにそう考えると、ゾワッとするようなものなんだけどね。土塁だって、かなり厚くしなけりゃならないし。火縄銃だってそうとう貫くからね。銃眼なんて死角だらけでね。土塁を作って木の枠を入れて銃眼作ったって、死角のほうが多いじゃない。よくわからない。描いてみりゃわかるかな、って思って。

MG 本誌読者にしてみれば、模型で作ってみないとわからないのと同じですね。
宮崎 資料用に持って来てくれた本のなかに小田原攻めの話があったでしょ。あれはちょっとドキドキしたんですよ。やはり銃眼っていうのは死角がものすごく多い。だから、うわーって行ってるとき、はじの方からチョロチョロ出て行く奴がいるんだね。

MG 山中城の話(『戦国の軍隊』西股総生/学研パプリッシング2012年)ですね。

宮崎 あれはねえ、ものすごいリアリティあった。要するに、敵を倒そうとか、戦に勝とうとかなにも思ってないじゃない。自分の旗指しものをいちばん高いところに立てたいってだけで。侍って、殺人を職業にしている、そういう人間の手柄の立て方みたいなものが、ものすごくわかりやすい。でも同時に現実主義者だから、おもしろかった。あれは。勝手にひとりでどんどん行っちゃうっていう。敵の後ろにくっついて橋を渡っちゃうとかね。確かに戦の最中なんて、誰が誰やらわかんないよね。

MG そうですよね。とりとめのない大混乱のなかで戦っていたんでしょうね。

宮崎 それを絵で描いてみようなんて思うと、ひどいことになるんですよ。滝の城に何度も行って、やってみたいと思ったんですけど、やってみてわかったのは、ああっ、歳とった。面倒くさいんだってことで。ペンで描きはじめたのが間違いだった。鉛筆がよかったなァ、なんてね。

MG この蛭子八郎太のフィギュアはどうでしょうか?

宮崎 胸板が薄すぎて、ちょっとひ弱な感じになってるね。どうなんだろうね。

MG 甲冑師をしている人に聞いたんですが、戦国時代の人は栄養状態が悪いから小柄で、筋力はあっても一般的に細身だったっていいますね。で、甲冑は重さを分散させるために体に密着させる着方をしていたっていいますが(と、担当者はつまらん言い訳をしているが、調べてみたら成型品の胸板はヒケと変形で、原型よりも薄くなっていた。発売製品では修正されます)。

宮崎 小札を集めて作った弾力のある胴じゃないから、ここの部分は空洞があったほうが動きやすいんじゃないかと思うんですよ。だってたいてい桶側胴だもんね。ここが。くっついてたら動けないでしょ。重量を支えるためにはほかのところで締めるんじゃないかと思うんだけど。わかんないけど。腰にいろんなものをくっつけてるのは確かだと思う。こりゃ、邪魔だね。刀なんていらないんじゃないかと思うけどね。これは俺の絵のくせですよ。本当はどうだったかなんて知りゃしない。

MG 鉄炮を持つ侍は、(帯に差した)打刀だと折敷きの姿勢になると腰に当たるので、(帯から下げる)太刀だったそうです。

宮崎 ひっかかるね、確かに。そうだろうと思う。刀が邪魔だったら後ろに差してもいいんだよね。後ろに差しても邪魔だろうけど。刀持ってたら、鉄炮撃ちにくいなと思うんですよ。でも刀を持って行かないわけにはいかないでしょ。どうしてたんだろね。ホントは刀を持ってなかったんじゃないかと思うくらいで。銃兵はなにも持たないで、そりゃ笠くらい被ってただろうけど、そして銃だけ持ってたんじゃないかと思う。
描いていて思ったけど、本当に重い鎧を着せて、役者にやらせなきゃダメなんだよ。本当のことはわからない。だから映画なんて参考にならない。あれはパタパタしてホントに軽いものを着てるから。気楽に歩いてるでしょ。プラスチックでも重いから、紙の鎧着せたら喜んでるって、そんな話を聞いたことがありますよ。本当に重い鎧を着せればいいんです。これは歩き方変わるよね。で、機動隊員にエキストラをやらせるしかないんです。映画で、その当時の感じを画面に漂わせようなんて、そんな気概をもってお金を集めて作ろうとするなんて、もうそんな人はいないんですよ。(2015年3月26日、東京都小金井市、二馬力にて)

月刊モデルグラフィックス2015年6月号
掲載ページより

東京近郊に残された戦国城塞の貴重な遺構

滝の城(たきのじょう)は柳瀬川と東川の合流点にある高さ25mの丘陵に築かれた多郭式の平山城である。「境目の城」と呼ばれる最前線の城として輪番制で警護されていた。しかし1590年、豊臣秀吉による小田原城攻めの際に落城。現在は埼玉県の指定史跡として大切に保存されている。

以上のようなことで「鉄炮侍」はいつ始まるのか、始まらないのかもわからない。読者の皆さんは「鉄炮侍」連載が発表される前から、中止になるかも知れないと言われて、何がなんだかわからないかも知れないが、これまでに描かれている10ページほどの合戦シーンは、それはそれはすごい密度と精度で描きこまれている。ああっ、こんなすごい作品が日の目を見ないなんてことがあっていいものだろうか。
それはともあれ、もう作ってしまったフィギュアだけが、実現するかもしれない連載に遥か先駆けて発売されることになったのである。
「鉄炮侍」連載の実現は、各自がご近所の神社仏閣などにお参りして祈願しましょう。本誌も連載実現を祈念しつつ末永く戦国連載を続けます。
蛭子八郎太の1/35インジェクションプラスチックフィギュア。写真はテストショットを組み上げたものなので、胸板は薄いまま。製品では修正される。5月16日に静岡ツインメッセで開催される静岡ホビーショーのモデラーズミニフリマの立ち読みパラダイスで先行発売。
1/35スケールフィギュア
「鉄炮侍」蛭子八郎太
インジェクションプラスチックキット


価格 1850円(税別) 商品ページを見る